こんな山奥で始めた、こんな生活。

たかやのOrganic lifeとエトセトラ

野生動物と人 その地域でどうしたら調和して共生できるか

私が住んでいる徳島県、とある山村は、辺り一面、杉や檜の人工林が広がっています。

ここへ初めて訪れる友人は車で来る途中、深すぎる自然に不安になるようです。笑

f:id:takaya_homestead:20180415100010j:plain

f:id:takaya_homestead:20180415100022j:plain

 

集落の先は数十キロに渡って杉林が続き、また、これより上には誰も住んでいないので、生活排水も流れ込まない川はとても綺麗で、夏場は農作業の合間に涼みに入ったりします。

 

私は約3反、畑10枚の畑をお借りする事ができ、じゃがいも、葉野菜、実野菜やハーブ、果樹などを育てています。

 

このような自然環境で、簡易的な道具で畑作業をしていると、自分自身が自然の一部でありたいと思うようになりました。この地域の自然の循環に逆らわず生きたい。

 

循環の一部であるには。

自然の循環のスタートをどこに位置づけるかは人それぞれだと思いますが、自分がその循環に入った瞬間、入りたいと願った瞬間をとりあえずのスタートとして考えてみます。

 

人間が動けば動く程砂漠化を、自然が動けば動く程と緑化が起こります。破壊と再構築ですね。

循環とはつまり、破壊と再構築の繰り返しなんですね。破壊を繰り返しながら、破壊から学び、感じ、そして、再構築をする事で、より良い世界になっていっている。
破壊と再構築の循環に、調和と発展があれば、良い方向に行くと考えています。まさに微生物の世界がそうであるように。

 

人間は所有の概念をもっています。「これは俺のもの」、「ここは俺の土地」、「これは俺の専売技術」などです。

私の場合だと、私の土地で育てている野菜は私の物で、誰にも無許可で取ってもらいたくないのです。人であれ、動物であれ。

 

自然栽培の世界では、栽培している植物に虫が付くのには理由があると考えるんですね。何かのバランスが崩れているのではないかと考えるんです。何かのバランスが崩れたから、正しい循環に戻ろうとする力ですね。こういった考えで農をやっていると、獣はどうなんだろうと自然に思って来た訳です。

鹿柵やウルフピーなどの「対策」のように獣を敵と見なし、侵入をどうにかして防ぐのは根本的な解決では無いと思い、私は今の所、対策と呼べるような事はしていません。気にしているのは、「どうしたら共生できる」か。

 

もともと、自然のシステムには無いはずの、経済活動ありきで農をしていて、畑や作物を所有していると想い、活動している。

という事は収穫物で経済活動をせずに、ただただ私の大好きな農をしたら、良いのではないか?

ここに答えがあるような気がしています。

鹿が村に降りて来る理由は沢山あります。そして私だけの力ではその環境を変えることはできません。でも、共生を心に想い、共生を判断の基準にしていれば、いつか道は開けるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

保存保存

保存保存

保存保存

保存保存

保存保存